僭 称 | 姓・諱 | 官位など | 僭 称 略 歴 | 出典 |
燕王 | 公孫淵 | 魏の大司馬 | 公孫度の孫。孫権とよしみを通じ、孫権は燕王とした。のちに孫権の使者を斬り首を魏へ送り大司馬になる。カン丘倹の都への召集に対し、交戦。かくて自立して燕王と名のり、百官有司を置いた。年号をたてて紹漢元年と称した。鮮卑の単于に玉璽を与え、辺境の民衆を支配させた | 正史 |
河首平漢王 | 宋建 | 隴西の人 | 河首平漢王を自称し、抱罕に軍勢を集結し、改元し、百官を設置した | 正史 |
汗魯王 | 烏延 | 右北平烏丸
大人 | 右北平烏丸の大人烏延は八百余の落を支配下に置いて、勝手に汗魯王を号した | 正史 |
(僭称)皇帝 | 袁術 | 後将軍
左将軍 | 〔建安二年(197)〕天の意志を示す瑞兆が下ったという河内の張烱の説を採用して、皇帝を僭称した。九江太守を淮南の尹(首都の長官)に任命し、公卿を置き、南郊北郊で祭祀を行った
袁術は袁という姓が陳からでており、陳は舜の子孫であることから、土が火をうけつぎ、五行のめぐりあわせにかなっていると考えた。また予言書に、「漢に代わるものは、当塗高である」というのをみて、自分の名と字がこれに該当すると考え、そこで称号をたて仲氏と称した | 正史 |
(自称)天子 | 闕宣 | 下[丕β]の人 | 軍勢数千人を集め、天子と自称した。徐州の陶謙は彼と手を結んで兵をあげ、泰山郡の華と費を奪い、任城を攻略した | 正史 |
峭王 | 蘇僕延 | 遼東属国
烏丸大人 | 遼東属国烏丸の大人蘇僕延は千余の落を配下に置いて、勝手に峭王と号した | 正史 |
東呉の徳王 | 厳白虎 | 呉郡に割拠 | 呉郡を占領するが、孫策の進出で会稽郡へ落ちのびる。会稽の太守王朗と組んで再び孫策に立ち向かった | 演義 |
弥天安定王 | 張純 | 中山太守 | 逃亡して遼西烏丸の大人丘力居の配下に入ると、自ら弥天安定王と号し、三郡烏丸の総帥となって、青・徐・幽・冀の四つの州を攻略し、役人や民衆を殺し略奪を行なった | 正史 |
陽明皇帝 | 許昌 | 会稽の妖賊 | 句章で反乱を起し、自称。息子の許韶とともにあたりの県を扇動して、それに加わる者は何万という数にのぼった | 正史 |
遼東王 | 公孫度 | 遼東太守 | 壇と[土単]を設け、天と地を祭り、籍田の儀式や閲兵式、鸞車に乗り、九旒を用い、旄頭をなびかせた羽林騎に護衛させた。以上いずれも天子にのみ許された。
曹操が武威将軍、永寧郷侯にとりたてたところ、「わしは遼東の王だ。何が永寧郷侯だ」といい、印綬を武器庫にしまいこんだ | 正史 |
(自称)将軍 | 区星 | 長沙の反乱軍の将 | 勝手に将軍を名のり、一万余の人数をあつめて町々を包囲し攻撃を加えた | 正史 |
(自称)将軍 | 和鸞 | 張掖の人 | 反乱を起こし将軍を自称した | 正史 |
安南将軍 | 郭馬 | 呉の合浦太守脩允の配下 | 脩允の死後、桂林に拠って反乱を起こし、みずから都督交・広二州諸軍事、安南将軍と号した | 正史 |
(自称)将軍 | 顔俊 | 武威の人 | 自立して将軍を自称した | 正史 |
(自称)将軍 | 彭綺 | [番β]陽の賊 | 勝手に将軍を名のり、あたりの諸県を攻め落して、一味に加わる者が数万人にのぼった | 正史 |
人公将軍 | 張梁 | 黄巾賊 | 張角の弟。黄巾賊の武装蜂起に際して人公将軍と称した | 正史 |
地公将軍 | 張宝 | 黄巾賊 | 張角の弟。黄巾賊の武装蜂起に際して地公将軍と称した | 正史 |
天公将軍 | 張角 | 黄巾賊 | 太平道の教祖。大賢良師。黄巾賊の武装蜂起に際して天公将軍と称した | 正史 |
197 | 1 | 典韋 | 武猛校尉 | 降伏した張[糸肅]の奇襲にあい、曹操を逃がすため奮戦し戦死 | - | - |
曹昂 | 劉夫人の子 | 曹操の長男。張[糸肅]の奇襲にあい、曹操に馬を提供し戦死 | 豊の愍王 | - |
曹安民 | 曹操の弟の子 | 降伏した張[糸肅]の奇襲にあい、戦死 | - | - |
諸葛玄 | 豫州太守 | 西域の民衆が反乱し殺害。首は劉ヨウへ送られた | - | - |
- | 李[イ寉] | 車騎将軍 | 謁者僕射の裴茂を派遣し処刑。高いところに吊り下げさらし首に | - | - |
- | 郭汜 | 後将軍 | 配下の五習に襲撃され[眉β]で死亡 | - | - |
- | 胡才 | 征西将軍 | 河東に駐留、仇敵に殺害 | - | - |
- | 李楽 | 征北将軍 | 河東に駐留、病死 | - | - |
5 | 韓胤 | 袁術の使者 | 袁術の婚姻の使者。陳登により枷をはめられ許へ護送。市場でさらし首に | - | - |
9 | 橋ズイ | 袁術の大将軍 | 袁術が陳に進入。曹操が東征し、斬殺 | - | - |
李豊 | 袁術の将 | 袁術が陳に進入。曹操が東征し、斬殺 | - | - |
梁綱 | 袁術の将 | 袁術が陳に進入。曹操が東征し、斬殺 | - | - |
楽就 | 袁術の将 | 袁術が陳に進入。曹操が東征し、斬殺 | - | - |
198 | 12 | 呂布 | 徐州牧 | 曹操の水攻め、内部分裂により降伏。生け捕られさらし首となり許に送られ埋葬 | - | - |
陳宮 | 呂布の大将 | 呂布の将軍侯成・宋憲・魏続に縛られる。さらし首となり許に送られ埋葬 | - | - |
高順 | 呂布の大将 | 曹操の水攻め、内部分裂により降伏。生け捕られさらし首となり許に送られ埋葬 | - | - |
- | 禰衡 | - | 黄祖に対し傲慢でかたくなな態度をとる。腹を立てた黄祖が殺害 | - | 26 |
199 | 2 | 張楊 | 大司馬 | 張楊の将の楊醜が殺害し、曹操に味方した | - | - |
楊醜 | 張楊の将 | 張楊の将の[目圭]固が殺害 | - | - |
3 | 公孫[王贊] | 前将軍 | 易京を袁紹に攻められ、妻子を殺害し自殺 | - | 47 |
4 | [目圭]固 | 張楊の将 | 史渙・曹仁に犬城を攻められ、斬殺 | - | - |
6 | 袁術 | 皇帝を僭称 | 皇帝を称したが、帝位を保持できず袁紹を頼って北上途中で病死 | - | - |
- | 車冑 | 徐州刺史 | 袁術死亡後、劉備が殺害 | - | - |
200 | 1 | 董承 | 車騎将軍 | 献帝の曹操誅殺の密勅が露顕し、処刑 | - | - |
[禾中]輯 | 長水校尉 | 献帝の曹操誅殺の密勅が露顕し、処刑 | - | - |
呉子蘭 | 将軍 | 献帝の曹操誅殺の密勅が露顕し、処刑 | - | - |
王子服 | 将軍 | 献帝の曹操誅殺の密勅が露顕し、処刑 | - | - |
4 | 孫策 | 討逆将軍 | 殺害された許貢の食客により丹徒で暗殺された | 長沙桓王 | 26 |
顔良 | 袁紹の大将 | 白馬の戦いにおいて曹操陣営にいた関羽に大軍のまっただ中で刺され、首を斬られた | - | - |
文醜 | 袁紹の騎将 | 白馬における2度目の戦闘で曹操に斬首 | - | - |
10 | 淳于瓊 | 袁紹の将軍 | 袁紹軍の烏巣の糧食を曹操が襲撃、鼻を削がれた上で殺害 | - | - |
[目圭]元進 | 袁紹の督将 | 袁紹軍の烏巣の糧食を曹操が襲撃、斬首 | - | - |
韓[廾呂]子 | 袁紹の騎督 | 袁紹軍の烏巣の糧食を曹操が襲撃、斬首 | - | - |
呂威[王黄] | 袁紹の騎督 | 袁紹軍の烏巣の糧食を曹操が襲撃、斬首 | - | - |
趙叡 | 袁紹の騎督 | 袁紹軍の烏巣の糧食を曹操が襲撃、斬首 | - | - |
冬 | 鄭玄 | 儒学者 | 病死か? | - | 73 |
201 | 春 | 田豊 | 袁紹の参謀 | 官渡の戦いの前に袁紹に諫言し、枷をはめられて牢に投獄
袁紹軍敗北後、田豊と仲の悪い逢紀の讒言により袁紹の激に触れ処刑 | - | - |
- | 沮授 | 袁紹の謀臣 | 官渡の戦いで生け捕られる。曹操は厚遇したが、袁紹のもとへ帰ろうとしたため殺害。死に臨んで堂々としていた | - | - |
- | 趙岐 | 太僕
学者 | 北海で隠遁生活、生活に困窮したことが原因か? | - | - |
202 | 5 | 袁紹 | 大将軍 | [業β]にて憤死(官渡の大敗、冀州各地で反乱が続発。心労による憂悶死か?) | - | - |
9 | 逢紀 | 袁尚の謀臣 | 袁紹死後、三男袁尚を補佐。袁譚の軍監として曹操と戦うが、袁譚の増援要求に袁尚が応じなかったため、袁譚が殺害 | - | - |
冬 | 郭援 | 河東太守 | 袁尚が任命した河東太守。平陽にて曹操に反乱した匈奴を援軍。鍾ヨウが斬首 | - | - |
204 | 夏 | 孫翊 | 丹陽太守 | 孫権の弟。孫翊の側近辺鴻が、丹陽郡の宴席でしたたかに酔っていた孫翊を背後から剣で殺害 | - | - |
辺鴻 | 孫翊の側近 | 殺害の翌日、山中に潜伏中、捕らえられ[女爲]覧、戴員が殺害。実は、両名は孫翊殺害の共謀者で、辺鴻に罪をかぶせた | - | - |
[女爲]覧 | 孫翊の大都督 | 丹陽の実権を握り、孫翊の未亡人徐氏に迫る。徐氏、孫高、傳嬰が孫翊の喪明けに仇討し、殺害 | - | - |
戴員 | 孫翊の郡丞 | [女爲]覧の殺害と同じくして別所で殺害 | - | - |
沈友 | 孫権の臣 | 硬骨の士。英才の誉れ高かったが、その正義の論陣ゆえ讒言される。謀反の罪で処刑 | - | - |
9 | 審配 | 袁尚の謀臣 | 袁紹死後、三男袁尚を補佐。[業β]攻防戦の末、陥落後処刑。刑の執行にあたり、死刑執行人を怒鳴りつけ己を北に向かせ「我が君は北におわすのだ」の言を残す | - | - |
- | 公孫度 | 武威将軍 | 自立して遼東候・平州牧を名のる。病死か? | - | - |
205 | 1 | 袁譚 | 青州刺史
車騎将軍(自称) | 袁紹の長男。曹操に降るもその後自立。清河で敗れ斬首 | - | - |
4 | 鮮于輔 | 獷平の守備隊長 | 烏丸に襲われ殺害 | - | - |
206 | 夏 | 高幹 | 并州刺史 | 袁紹の甥。并州で反乱し、逃亡。王[王炎]に捕らえられ、処刑 | - | - |
- | 太史慈 | 建昌都尉 | 病死か?臨終に際し、志半ばで死ぬことを嘆息した | - | 41 |
西暦 | 月 | 姓・諱 | 官職等 | 死 の 瞬 間 | 諡 | 享年 |
207 | - | 張[糸肅] | 破羌将軍 | 柳城の烏丸征伐の途中で死去。曹丕に「私の兄を殺したくせに」と言われ、不安を感じ自殺したとも | 定侯 | - |
8 | トウ頓 | 烏丸の単于 | 白狼山で曹純配下の騎兵に生け捕られ、処刑 | - | - |
9 | 袁熙 | 幽州刺史 | 袁尚の二男。遼東太守公孫康を頼るが、斬首され首級は曹操へ | - | - |
袁尚 | 袁紹の後継 | 袁紹の三男。遼東太守公孫康を頼るが、斬首され首級は曹操へ | - | - |
- | 郭嘉 | 司空軍祭酒 | 烏丸征伐に随行、柳城から帰還すると危篤となった。病死か? | 貞侯 | 38 |
208 | 春 | 陳就 | 黄祖の都督 | 孫権軍に先制攻撃をかけるが、呂蒙に敗れ首級にされた | - | - |
黄祖 | 江夏太守 | 夏口城が陥落前に逃亡。騎士の馮則に見つかり一刀両断に殺された | - | - |
8 | 劉表 | 荊州牧 | 後継者争いを残したまま、悪性腫瘍で病死 | - | 66 |
孔融 | 太中大夫 | 曹操に対し不遜の態度を取った。孫権の使者に対し、曹操誹謗の発言をした罪で、市場において処刑。2人の子供も殺害 | - | 55 |
- | 曹沖 | 曹操の子 | 曹操の命乞いの祈りもむなしく病死 | [登β]の
哀王 | 13 |
209 | - | 荀悦 | - | 病死か? | - | - |
- | 史渙 | 中領軍 | 病死か? | - | - |
210 | - | 周瑜 | 呉の大都督 | 京城から江陵に変える途中、巴丘で病死 | - | 36 |
- | 曹純 | 議郎 | 曹仁の弟。虎豹騎を率いた。病死か? | 威侯 | - |
211 | 9 | 成宜 | 関中の豪族 | 曹操の騎兵隊の挟み撃ちにあい斬殺 | - | - |
李堪 | 関中の豪族 | 曹操の騎兵隊の挟み撃ちにあい斬殺 | - | - |
- | 呉巨 | 蒼梧太守 | ひそかに異心を懐き、表面的に呉の支配を受け入れていたため、歩シツは会見をしたいと誘い寄せ、その席で斬ってさらしものとした | - | - |
212 | - | 張松 | 益州の別駕 | 実兄張粛の言上で、劉璋への反逆が暴露。劉備に内通した罪で劉璋が斬首 | - | - |
- | 楊懐 | 劉璋の白水軍総督 | 劉備が荊州に帰還するふりをしたため、喜んで挨拶にきたところを捕らえられ斬殺 | - | - |
- | 高沛 | 劉璋の将 | 劉備が荊州に帰還するふりをしたため、喜んで挨拶にきたところを捕らえられ斬殺 | - | - |
- | 荀[或〃] | 尚書令 | 曹操が魏公に昇ることに反対。病気になり寿春にて憂悶のうちに急逝
曹操が荀[或〃]に食物を贈ったところ空っぽの器だったため、毒薬を飲んで自殺したとの説も | 敬侯 | 50 |
- | 梁興 | 関中の豪族 | 長安に駐屯した夏侯淵が韓遂・馬超軍の残党討伐をし、斬殺 | - | - |
- | 阮[王禹] | 倉曹掾属 | 病死か? | - | - |
- | 張範 | 議郎 | 死去。病死か? | - | - |
213 | - | 韋康 | 涼州刺史 | 馬超に冀城を包囲され、敗北 殺害 | - | - |
214 | - | [广龍]統 | 蜀の軍師中郎将 | 蜀に進軍、[各隹]城を攻撃するが、流れ矢に当たって戦死 | 靖侯 | 36 |
夏 | 張任 | 劉璋の将 | [各隹]城を守備。雁橋に出陣し、生け捕られる
「老臣は二主に仕えず」の言を残し処刑 | - | - |
7 | 荀攸 | 魏の尚書令 | 孫権征伐に随行の途上で死去。病死か? | 敬侯 | 58 |
10 | 宋建 | 河首平漢王
(自称) | 隴西で王を自称。夏侯淵に抱罕を陥落され、斬殺 | - | - |
11 | 伏皇后 | 献帝の皇后 | 父伏完に送った曹操を怨む手紙が発覚。そのかどで后位を廃され死亡。華[音欠]が殺害したといわれる | - | - |
伏完 | 元屯騎校尉 | 伏皇后の父。伏皇后の手紙が発覚。一族数百人と処刑 | - | - |
- | 田疇 | 議郎 | 死去。病死か? | - | 46 |
- | [萠リ]越 | 光禄勲 | 死去。病死か?臨終にさいして、曹操に書簡を送って、家族のことを頼んだ | - | - |
215 | 5 | 韓遂 | - | 西平・金城を占拠する将軍の麹演、蒋石に裏切られ斬首、首級は曹操へ | - | - |
7 | 楊任 | 張魯の将 | 曹操の将、解[慓リ]・高祚に夜襲され、斬殺 | - | - |
216 | 8 | 崔[王炎] | 魏の中尉 | 楊訓にあてた手紙を、怨恨誹謗のしろものだと奏上するものがあり、処罰し懲役囚に。その後死を賜る。自殺説も | - | - |
217 | 春 | 董襲 | 呉の偏将軍 | 曹操の濡須進軍に対し、五楼船を指揮。暴風により船が大破し溺死 | - | - |
王粲 | 魏の侍中 | 呉討伐に従軍、道中で流行り病にかかり死亡 | - | 41 |
応[王昜] | 五官将文学 | 流行り病にかかり死亡 | - | - |
劉楨 | 丞相掾属 | 流行り病にかかり死亡 | - | - |
徐幹 | 五官将文学 | 流行り病にかかり死亡 | - | - |
陳琳 | 門下督 | 流行り病にかかり死亡 | - | - |
- | 魯粛 | 呉の横江将軍 | 荊州分割問題の解決に奔走。病死か? | - | 46 |
218 | 1 | 耿紀 | 少府 | 正月、許で金[示韋]らと反乱するが、王必、厳匡に捕らえられ斬首 | - | - |
韋晃 | 司直 | 正月、許で金[示韋]ら反乱するが、王必、厳匡に捕らえられ斬首
頭を地に打ちつけ頬をたたいて死んだとも | - | - |
吉本 | 漢の大医令 | 正月、許で金[示韋]ら反乱するが、王必、厳匡に捕らえられ斬首 | - | - |
吉バク | 吉本の子 | 正月、許で金[示韋]ら反乱するが、王必、厳匡に捕らえられ斬首 | - | - |
吉穆 | 吉本の子 | 正月、許で金[示韋]ら反乱するが、王必、厳匡に捕らえられ斬首 | - | - |
王必 | 丞相長史 | 金[示韋]が放った矢が肩に命中、反乱の14日後、矢傷のために死亡 | - | - |
任キ | 呉蘭の将 | 曹洪に呉蘭軍は敗れ、斬殺 | - | - |
3 | 呉蘭 | 蜀の将軍 | 漢中に進軍するが、陰平のテイ族強端が斬首し、首は曹操へ | - | - |
- | 雷銅 | 蜀の将軍 | 武都に侵入するが、曹操軍に斬殺 | - | - |
- | 馬秦 | 盗賊 | [妻β]で反乱するが、李厳が討伐し斬首 | - | - |
- | 高勝 | 盗賊 | [妻β]で反乱するが、李厳が討伐し斬首 | - | - |
- | 曹整 | 曹操の子 | 死去。病死か? | [眉β]の戴公 | - |
- | 楽進 | 魏の右将軍 | 死去。病死か? | 威侯 | - |
219 | 1 | 侯音 | 宛の守将 | 南陽太守東里袞を捕らえ反乱。曹仁に攻められ斬首 | - | - |
衛開 | 宛の守将 | 南陽太守東里袞を捕らえ反乱。曹仁・[广龍]悳に攻められ斬首 | - | - |
春 | 夏侯淵 | 魏の征西将軍 | 定軍山争奪戦において、一度の戦闘で黄忠が斬殺 | 愍侯 | - |
趙[禺頁] | 曹操が任命した
益州刺史 | 定軍山争奪戦において、黄忠が斬殺 | - | - |
9 | 魏諷 | 西曹掾 | [業β]の守備が手薄なため、陳[示韋]と共謀し[業β]襲撃を計画。陳[示韋]が白状したため曹丕が処刑 | - | - |
秋 | 董衡 | 魏の将軍 | 関羽の樊城攻めにより、降伏しようとしたため[广龍]悳が斬殺 | - | - |
董超 | 魏の部隊長 | 関羽の樊城攻めにより、降伏しようとしたため[广龍]悳が斬殺 | - | - |
成何 | [广龍]悳の督将 | 関羽の樊城攻めにより戦死か? | - | - |
[广龍]悳 | 魏の立義将軍 | 関羽の樊城攻めにより捕らえられ、降伏勧告にも膝まずかず斬殺 | 壮侯 | - |
12 | 関羽 | 蜀の前将軍 | 荊州を呂蒙・陸遜に奪われ孤立、麦城から脱出をもくろんだが呉の武猛校尉潘璋の司馬の馬忠に章郷で捕らえられ斬殺 | 壮繆侯 | - |
関平 | 関羽の子 | 麦城から脱出をもくろんだが呉の武猛校尉潘璋の司馬の馬忠に章郷で捕らえられ父関羽とともに斬殺 | - | - |
趙累 | 関羽の都督 | 麦城から脱出をもくろんだが呉の武猛校尉潘璋の司馬の馬忠に章郷で捕らえられ斬殺 | - | - |
- | 呂蒙 | 呉の虎威将軍
南郡太守 | 荊州平定後病気になり、孫権は内殿に迎え入れ懸命に延命措置をしたが死去 | - | 42 |
- | 曹均 | 曹操の子 | 死去。病死か? | 樊の安公 | - |
220 | 1 | 曹操 | 魏王 | 洛陽で病気により逝去。葬儀は極めて質素に行なわれた
持病の偏頭痛に悩まされていたためそれが原因との説も
名医華陀を処刑したことも致命傷であった | 武王 | 68 |
- | 丁儀 | 右刺姦掾 | 曹植擁立派の中心。曹丕は位につくと、丁儀を処罰したいと思い、右刺姦掾に転任させ、自殺させようとした
結局、職務にかこつけて逮捕されて獄に投ぜられ、処刑 | - | - |
- | 丁[广異] | 黄門侍郎 | 文帝(曹丕)は王位につくと一族ともども処刑した | - | - |
4 | 夏侯惇 | 魏の大将軍 | 曹操を追うように数ヵ月後死去。病死か? | 忠侯 | - |
5 | 張進 | 張掖の人 | 張掖の太守をとらえて反逆。金城の太守蘇則は討伐して斬殺 | - | - |
- | 仲長統 | 尚書郎 | 四十余歳で死去 | - | - |
- | 劉封 | 蜀の副軍将軍 | 劉備の養子。関羽を救援しなかったことと裏切って魏に走った孟達の圧迫侵害を防げず成都へ逃げ帰ったことを劉備に責められた
諸葛亮の進言を入れ劉備に死を賜り、自殺 | - | - |
- | 麋竺 | 蜀の安漢将軍 | 関羽敗死の一因を作った弟麋芳の反逆の責任から自ら後手に縛って処罰を乞う
劉備に諭され初めと同様厚遇されるが、恥と怒りのため発病し憤死 | - | - |
- | 黄忠 | 蜀の後将軍 | 定軍山で夏侯淵を斬った(219)翌年死去。病死か?
(演義では222年まで延命措置が採られている) | 剛侯 | - |
- | 法正 | 蜀の尚書令
蜀の護軍将軍 | 定軍山攻略の策を進言、翌年死去。病死か?
劉備が夷陵へ侵攻(221)し敗北したとき諸葛亮は「法孝直が健在であれば・・・」と歎息した | 翼侯 | 45 |
- | 程昱 | 魏の衛尉 | 曹丕が天子の位につき、その後公(宰相)にするつもりの矢先に死去。車騎将軍を追贈された | 粛侯 | 80 |
西暦 | 月 | 姓・諱 | 官職等 | 死 の 瞬 間 | 諡 | 享年 |
221 | 6 | 甄皇后 | 文帝(曹丕)正室 | 山陽公(後漢の献帝)の娘・郭后・李貴人・陰貴人らがそろって寵愛をうけたため、失意に陥って怨みごとをいった
文帝は非常に立腹し、使者をつかわして自殺させた | - | - |
7 | 張飛 | 蜀の車騎将軍 | 劉備が呉を討伐するにあたって、[門良]中から出て江州で落ちあおうと出発する直前に、幕下の将張達と范彊が殺害し、首を持って呉へ出奔した | 桓侯 | - |
222 | - | 馬超 | 蜀の驃騎将軍 | 死去。病死か?
死にのぞんで上疏し、従弟の馬岱のことを託した | 威侯 | 47 |
6 | 馮習 | 蜀の将軍 | 陸議(陸遜)が夷陵で劉備を破り、潘璋の部下が斬首 | - | - |
張南 | 蜀の将軍 | 陸議(陸遜)が夷陵で劉備を破り、潘璋の部下が斬首 | - | - |
沙摩柯 | 異民族の首領 | 陸議(陸遜)が夷陵で劉備を破り、潘璋の部下が斬首 | - | - |
傳[月彡] | 蜀の将軍 | 劉備が退却する際、敵の追撃を断つ役を引き受けて防戦、呉の降伏に対し、「呉の犬め。漢の将軍には降伏する者はおらぬわ」と啖呵を切って戦死 | - | - |
程畿 | 蜀の従事祭酒 | 夷陵の敗戦で長江をさかのぼって帰還中、呉の追っての大軍勢と戦い戦死 | - | - |
- | 馬良 | 蜀の侍中 | 陸議(陸遜)が夷陵で劉備を破り、殺害 | - | 36 |
- | 王甫 | 蜀の議曹従事 | 陸議(陸遜)が夷陵で劉備を破り、殺害 | - | - |
8 | 許靖 | 蜀の司徒 | 死去。70歳を越えても、人物を愛し、後進を導き受け入れた | - | - |
- | 劉巴 | 蜀の尚書令 | 死去。病死か? | - | - |
- | 李朝 | 蜀の別駕従事 | 呉征討に随行、永安において死去 | - | - |
223 | - | 正昂 | 蜀の益州太守 | 益州郡が反乱し、殺害 | - | - |
3 | 黄元 | 蜀の漢嘉太守 | 劉備が病気になったと聞いて挙兵するが、陳コツが討伐。護衛兵に捕縛され成都へ送られ斬殺 | - | - |
4 | 劉備 | 蜀の皇帝 | 病気が重くなり、劉禅を丞相の諸葛亮に託し、李厳を輔佐とし永安宮において逝去 | 昭烈皇帝 | 63 |
- | 王直 | 呉の部将 | 戯口の守備にあたっていた晋宗が殺害し、魏へ寝返った | - | - |
- | 曹仁 | 魏の大司馬 | 曹操の従弟。死去。病死か? | 忠侯 | 56 |
- | ケイ[禺頁] | 魏の太常 | 死去。病死か? | - | - |
- | 韓当 | 呉の昭武将軍 | 病死 | - | - |
- | 張既 | 涼州刺史 | 二州(雍州・涼州)を統治すること十余年におよび、死去。病死か? | 粛侯 | - |
224 | - | 賈[言羽] | 魏の太尉 | 死去。病死か? | 粛侯 | 77 |
- | 曁[豊盍] | 呉の尚書 | 官吏の綱紀粛正をするが、反対派のために自殺においこまれた | - | - |
- | 徐彪 | 呉の選曹郎 | 官吏の綱紀粛正をするが、反対派のために自殺においこまれた | - | - |
225 | - | 夏侯尚 | 魏の征南将軍 | 重体となり、都に帰還し死去 | 悼侯 | - |
- | 雍[門豈] | 益州郡の豪族 | 劉備の死に前後して反乱。諸葛亮の南中討伐途上に、高定の部下が殺害 | - | - |
5 | 孫邵 | 呉の丞相 | 死去。病死か? | - | 63 |
6 | 徐質 | 魏の利成太守 | 利成郡の兵士蔡方らが郡をあげて反逆し、殺害 | - | - |
11 | 曹鑒 | 曹丕の子 | 王に立てられたが、同年死去 | 東武陽の
懐王 | - |
226 | - | 鮑勛 | 魏の治書執法 | 曹丕が太子時代から太子のいいなりにならず、怒りと恨みをかった。劉曜に不問にした事件について内密に上奏され、処刑された | - | - |
5 | 曹丕 | 魏初代皇帝 | 病気になり、曹真、陳羣、曹休、司馬懿に後事を託し、嘉福殿において崩御 | 文帝 | 40 |
8 | 張霸 | 呉の将軍 | 呉軍が襄陽に侵攻したが、司馬懿が撃破し斬殺 | - | - |
10 | 曹冏 | 曹叡の子
清河王 | 清河王となるが死去。病死か? | - | - |
- | 士燮 | 呉の衛将軍
交趾太守 | 交趾郡にあること四十余年、死去。老衰か? | - | 90 |
227 | 1 | 麹英 | 西平の人 | 反乱し、臨羌の令と西都の長を殺害。[赤β]昭と鹿磐が討伐し、斬殺 | - | - |
- | 徐晃 | 魏の右将軍 | 病気が重くなり、時節の衣服で身をつつんでくれと遺言し死去 | 壮侯 | - |
- | 賀斉 | 呉の後将軍 | 死去。病死か? | - | - |
228 | 1 | 孟達 | 魏の新城太守 | 蜀を裏切って魏についたが、彼を寵愛した文帝崩御、夏侯尚・桓階の死去により、不安に駆られ諸葛亮の北伐に呼応して三度寝返る。(最初は劉璋を裏切った)
司馬懿に速攻され、甥の投降により捕らえられ斬首。首は洛陽へ | - | - |
春 | 馬謖 | 蜀の参軍 | 北伐の先鋒として大軍を率いて街亭へ。張[合β]と戦って敗れ蜀軍は漢中へ撤退。投獄されて斬首
諸葛亮は馬謖のために涙を流した | - | 39 |
張休 | 蜀の将軍 | 街亭の敗北の責めを受け処刑 | - | - |
李盛 | 蜀の将軍 | 街亭の敗北の責めを受け処刑 | - | - |
10 | 曹休 | 魏の大司馬 | 呉の周魴の策にはまり敗北。上書して謝罪し赦されるが、これが原因で背中に悪性のできものができて死去 | 壮侯 | - |
11 | 王朗 | 魏の司徒 | 死去。病死か? | 成侯 | - |
冬 | 王双 | 魏の将軍 | 陳倉から兵糧つきて帰還する諸葛亮を追撃、一戦して破れ斬殺 | - | - |
- | 呂範 | 呉の大司馬 | 大司馬に昇進したが、そのしるしの印綬が下賜されぬうちに、病死 | - | - |
- | 駱統 | 呉の濡須の督 | 死去。病死か? | - | 36 |
229 | - | 趙雲 | 蜀の鎮東将軍 | 死去。病死か? | 順平侯 | - |
4 | 曹礼 | 曹丕の子 | 死去。病死か? | 元城の
哀王 | - |
6 | 曹穆 | 曹叡の子 | 死去。病死か? | 繁陽王 | - |
230 | 4 | 鍾ヨウ | 魏の太傳 | 死去。病死か? | 成侯 | - |
- | 梁習 | 魏の大司農 | 死去。病死か? | - | - |
231 | 3 | 曹真 | 魏の大司馬 | 病気になり、洛陽に帰還し死去 | 元侯 | - |
- | 衛温 | 呉の将軍 | 武装兵一万を率い海を渡り、夷州と亶州を調査するが、捜しあてることができず、夷州から数千人の住民を連れ帰った。詔にそむいたため獄に下され、誅殺 | - | - |
- | 諸葛直 | 呉の将軍 | 武装兵一万を率い海を渡り、夷州と亶州を調査するが、捜しあてることができず、夷州から数千人の住民を連れ帰った。詔にそむいたため獄に下され、誅殺 | - | - |
6 | 張[合β] | 魏の征西車騎将軍 | 諸葛亮が[示β]山を包囲。救援した張[合β]は、撤退する蜀軍を追撃。青封に到達して交戦し、矢が右膝にあたって戦死 | 壮侯 | - |
12 | 華[音欠] | 魏の太尉 | 死去。病死か? | 敬侯 | 75 |
232 | 1 | 孫慮 | 孫権の子 | 死去。病死か? | - | 20 |
5 | 曹殷 | 曹叡の子 | 死去。病死か? | 安平哀王 | - |
10 | 周賀 | 呉の大将 | 田豫が成山で討伐し斬殺 | - | - |
11 | 曹植 | 曹操の子 | 曹丕との後継者争いに敗れ、十一年間に三度都を換えさせられた。つねにあたふたとしていて楽しみもなく、発病して死去
遺言して質素な葬儀を命じた | 陳の思王 | 41 |
233 | 5 | 曹ズイ | 曹丕の子 | 北海王に改封されるが、死去。病死か? | 北海の
悼王 | - |
12 | 張弥 | 呉の太常 | 使者として海路遼東へ行き公孫淵を燕王とした。公孫淵が斬首し、首は魏に送った | - | - |
許晏 | 呉の執金吾 | 使者として海路遼東へ行き公孫淵を燕王とした。公孫淵が斬首し、首は魏に送った
| - | - |
西暦 | 月 | 姓・諱 | 官職等 | 死 の 瞬 間 | 諡 | 享年 |
234 | 3 | 劉協 | 後漢第14代皇帝
山陽公 | 死去。病死か?
明帝は白い服をつけ喪に服し、皇帝のしるしの旗を持った使者をつかわして葬儀をとり行った。 | 漢孝献
皇帝 | 54 |
8 | 諸葛亮 | 蜀の丞相 | 斜谷を通って出撃し、五丈原に根拠地を置く。司馬懿と渭南で相い対峙すること百日あまり、病に倒れ、軍中で病死
司馬懿は、撤退した蜀軍営を視察して「天下の奇才である」といった | 忠武侯 | 54 |
- | 李厳 | 蜀の驃騎将軍 | 北伐の軍需輸送を監督するが、輸送に窮し奸計を巡らす。諸葛亮により庶民に落とされ梓潼郡へ流された。諸葛亮の死を聞き、自分の復活の道が閉ざされたことを痛憤して発病死 | - | - |
- | 魏延 | 蜀の征西大将軍 | 諸葛亮死後、楊儀と指揮権を争うが、敗れて漢中に息子たちと出奔。追撃を命ぜられた馬岱により斬首。首は楊儀に踏みつけられた | - | - |
235 | 1 | 楊儀 | 蜀の中軍師 | 諸葛亮の後継者に蒋[王宛]が選ばれたことを怨み、費[示韋]に恨みをいった。上奏され、庶民に落とされ漢嘉郡へ流された。またも上書して誹謗の言を吐いたため逮捕、その後自殺した | - | - |
- | 軻比能 | 鮮卑族の大人 | 王雄が刺客をおくって暗殺 | - | - |
236 | 3 | 張昭 | 呉の輔呉将軍 | 幅巾を冠らせ、飾りのない棺を用い、普段着のまま葬るよう遺言し、死去。病死か? | 文侯 | 81 |
5 | 董昭 | 魏の司徒 | 死去。病死か? | 定侯 | 81 |
7 | 胡衛 | 呉の使者 | 高句麗王位宮が斬首し、首を幽州の役所に届けた | - | - |
12 | 陳羣 | 魏の司空 | 死去。病死か? | 靖侯 | |
237 | 7 | 陳矯 | 魏の司徒 | | | |
238 | 4 | 韓曁 | | | | |
8 | 公孫淵 | | | | |
|
| | | | |
- | 呂壱 | | 孫権に寵愛され権力をふるうが、悪事が発覚して誅殺 | | |
239 | 1 | 曹叡 | 魏第2代皇帝 | 司馬懿に後事を託し逝去 | 明帝 | |
10 | 厳綱 | 呉の臨賀太守 | 廖式が殺害し | - | - |
241 | 4 | 秦晃 | 呉の中郎将 | 芍陂で会戦し、戦死 | - | - |
5 | 孫登 | 呉の太子 | 死去 | 宣太子 | 33 |
- | 諸葛瑾 | 呉の大将軍 | 白木の棺に普段着のままおさめ、葬儀は簡略にするよう遺言し死去。病死か? | - | 68 |
- | 管寧 | | 死去 | | |
243 | 11 | 顧雍 | 呉の丞相 | 病死 | 粛侯 | 76 |
- | [門敢]沢 | | 死去 | | |
244 | 4 | 劉理 | 蜀の安平王 | 蜀の安平王 | 悼王 | |
- | 張承 | 呉の奮威将軍 | 死去。病死か? | 定侯 | 67 |
245 | - | 張休 | 呉の揚武将軍 | 孫和と孫霸の確執が激化し、その争いの中で孫弘が讒訴したため、詔書が下され命ぜられて自殺 | | 41 |
2 | 陸遜 | 呉の丞相 | 孫和と孫霸の確執が激化し、その争いの中で憂死 | | |
7 | 馬茂 | 呉の征西将軍 | 寝返って呉の将軍となるが、孫権殺害を画策し、一族皆殺し | - | - |
朱貞 | 呉の兼符節令 | 孫権殺害計画に加担し、一族皆殺し | - | - |
虞欽 | 呉の無難督 | 孫権殺害計画に加担し、一族皆殺し | - | - |
朱志 | 呉の牙門将 | 孫権殺害計画に加担し、一族皆殺し | - | - |
246 | - | 蒋[王宛] | 蜀の大司馬 | 持病が悪化し、病死 | 恭 | - |
- | 董允 | 蜀の侍中守尚書令 | 病死か? | - | - |
247 | 1 | 全[王宗] | 呉の右大司馬 | | | |
5 | 歩シツ | 呉の丞相 | | | |
249 | 1 | 曹爽 | 魏の大将軍 | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
何晏 | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
[登β][風易] | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
畢軌 | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
李勝 | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
桓範 | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
張当 | | 司馬懿がクーデターをおこし、誅殺する | | |
3 | 朱然 | 呉の左大司馬 | | | |
- | 王弼 | | | | |
250 | 秋 | 孫霸 | | 孫権が自殺を命じる | | |
楊竺 | | 孫霸にくみしたため誅殺 | | |
全寄 | | 孫霸にくみしたため誅殺 | | |
呉安 | | 孫霸にくみしたため誅殺 | | |
孫寄 | | 孫霸にくみしたため誅殺 | | |
- | 劉放 | 魏の驃騎将軍 | 死去。病死か? | 敬侯 | - |
251 | 4 | 王リョウ | 魏の太尉 | クーデターをくわだてたとして、司馬懿に攻められ降服し、自殺 | | |
7 | 司馬懿 | | | | |
| 呂乂
| 蜀の尚書令 | 死去。病死か? | | |
- | 孫資 | 魏の驃騎将軍 | 死去。病死か? | 貞侯 | - |
252 | 4 | 孫権 | 呉の初代皇帝 | 病気(肺炎)が重くなり、諸葛恪・孫弘・滕胤・呂拠に後事を託し逝去 | 大皇帝 | 71 |
| 孫弘
| | 諸葛恪が殺害し、実権を握る | | |
- | 応キョ | | | | |
253 | 1 | 費[示韋] | 蜀の大将軍 | 酒宴の席で魏の降将郭循に刺殺される | | |
10 | 諸葛恪 | | 孫峻が呉主孫亮とはかり、殿中において誅殺 | | |
| | | | |
254 | 2 | 李豊 | 魏の中書令 | 司馬師が殺害 | | |
夏侯玄 | | 司馬師が捕えて誅殺 | | |
張緝 | | 司馬師が捕えて誅殺 | | |
- | 孫英 | | 孫峻を誅殺しようとくわだてたが、事が発覚し自殺 | | |
255 | 1 | カン丘倹 | | 寿春において文欽と司馬師討伐の兵をおこすが、敗れ、土民に殺害された | | |
司馬師 | | 許昌で病死 | | |
256 | 9 | 孫峻 | 呉の丞相 | 死去 | | |
呂拠 | | 孫峻の死後、実権を握った孫[糸林]の撤退命令を拒否し、孫[糸林]を伐とうとするが、失敗し自殺 | | |
滕胤 | | 孫峻の死後、実権を握った孫[糸林]が殺害 | | |
- | 王粛 | | | | |
258 | 1 | 文欽 | | 司馬昭に包囲された寿春城内で諸葛誕と対立し、殺害 | | |
2 | 諸葛誕 | 魏の征東大将軍 | 司馬昭に寿春をおとされ、逃亡しようとして斬殺 | | |
- | 陳祗 | 蜀の侍中守尚書令 | | 忠侯 | |
12 | 孫[糸林] | 呉の丞相 | 臘会の日、孫休は丁奉・張布と計って、宮中において斬殺 | | |
260 | 5 | 曹髦 | 魏の第4代皇帝 | 王経らとともに司馬昭を除くため、クーデターを発動。賈充らの反撃にあい死亡 | | 20 |
- | 孫亮 | 呉の第2代皇帝
呉の会稽王 | | | |
262 | - | ケイ康 | | 司馬昭が殺害 | | |
263 | 5 | 孫[言胥] | 交趾太守 | 郡吏の呂興らが殺害して反乱 | | |
- | 阮籍 | | | | |
264 | 1 | 姜維 | | 鍾会をそそのかし、司馬昭にそむかせるが、うちわもめのため殺害 | | |
鍾会 | 魏の司徒 | 姜維や蜀の残存勢力と結んで司馬昭にそむくが、うちわもめのため殺害 | | |
3 | 孫休 | 呉の第3代皇帝 | 病気が重体になり、濮陽興を召し、孫ワン |